今日は七夕。

短冊に願いを書いて 笹の葉に吊るして 星に願い事をする日。

母の入院するフロアにも、笹の葉と短冊が置かれています。

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早く退院できますように… 病気が治りますように…

入院している本人も、家族も、友人も  みんながそう願っています。


娘も母の回復を願って短冊を書き、笹の一番高いところに吊るしてくれました。


母は右足大腿部を骨折しての入院でしたが、背骨の圧迫骨折や腸炎と、足とは関係のない部分の治療が加わり、更に食事をほとんど食べないことで、ずいぶんと衰弱しているように見えます。

30年近く、母が一人で手入れしてくれていた芝生。手をかけてくれる人を失って、こんなことになっています。
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夫が庭のヒメシャラを見て「今年は花が多いね」って。

芝生に落ちている花がらが、たくさんあるからそう感じるのだと思います。

でもそれって本当は違う… 

花がたくさん咲いたからではなくて、毎日毎日落ちた花を掃除していた母がいないからです。

私は落ちた花を何日も放置しているから、花は日々溜まっていって、たくさん咲いたように見えているだけ。
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母はポストを見るのが仕事のようになっていました。

普通は朝刊をとったら、夕刊までポストを見ることなんてない。

でも母はとったのを忘れちゃうし「庭に出たらポストを見る」というのが一連の動作のようになっているようで、一日に何度もポストをのぞいていました。

だから私も夫も、ましてや子供たちはなおさら、ポストを見ることが習慣になっていないから。

だから朝刊をとりにいくと、昨日届いた郵便や夕刊が入っていることが何度もあって…


庭に落ちた花や、ポストに残された夕刊や。

そんな些細なことで、家に母がいないことを。

十分にわかっていることを。

改めて突きつけられています。


どんな人でも高齢になれば、今より健康になったり、病気前より体調が良くなることはまずありません。

階段を1段ずつ、ゆっくりゆっくり下りるように。少しずつ少しずつ健康から遠ざかっていく。


6月最後の日。もう主治医が帰宅していない時間に、母の体調が崩れました。

ゆっくりではなく、急に何段か駆け下りたように。

4人部屋からナースステーション続きの部屋に運ばれて処置をうけている間、このまま天国に行っちゃうんじゃないかという気がして、母の横で娘も泣き… 私も泣き…

しばらくして、もう落ち着いたから帰宅しても大丈夫と言われて自宅に戻りましたが、その夜はなかなか寝付けず、翌日もいつ電話が鳴るかと心が震えていました。


本当なら、もうとっくにリハビリ病院へ転院して、歩く練習をしている頃。もうすぐ治って家に帰れるねって、言っている頃なのに。現実はそうではありません。

口から食事が摂れないことで、経管栄養をするかしないか。胃ろうをするかしないかなどの選択や、療養型病院への転院か家へ帰るか。など決めなくてはならないことがたくさん。


それがきっかけになり、自分がそうなったとき、認知症になって自分自身で決められないときは「延命のための経管栄養や胃ろうは絶対してほしくない」と子供たちにはっきり伝えました。

自分がしてほしくないことを、きっと母もしてほしくなんかないとそう思っています。

病院には相談にのってくださる、ソーシャルワーカーの方や相談員さんがいます。

明日は家族で決めたことを伝えて、これからのことをしっかり決めてこようと思っています。